フリーダイヤル0120-22-0000 営業、税金、資金繰りや融資、健康など、商売に関してお困りの場合は、京商連のフリーダイヤルにご相談ください。

お問い合せはこちらへ

京商連のブログ

[ホーム]>[民商]>[東山民商]>[ニュース 2008年5月26日号]

東山民商ニュース 2008年5月26日号

No.295 2008年5月26日 京都府東山民主商工会
Tel:075-541-5116 FAX:075-541-4016
メール:h-minsyo@athena.ocn.ne.jp

祗園清掃行う

5月18日、14名の参加で祇園町の清掃を行いました。この清掃は4月の白川清掃のあと祇園町にゴミが溢れているところを見たことで清掃をしょうとなったものです。当日は、すこしゴミも少なかったですがゴミ袋10個ほど集まりました。

ゴミ清掃車が来た後のゴミを出さないようにお互いが気をつけていくことを知らせることも必要との認識で写真をゴミ集合場所に設置してはどうかという案もでました。

参加されたみなさんご苦労さまでした。

新会員さん訪問

石井副会長さんと祗園西支部、祗園南支部の新会員さんを訪問しました。訪問の中で新会員歓迎会の案内と会員・読者拡大対象者の情報をお願いしました。

また、地域支部には全商連総会めざす拡大統一行動とあわせて19日から3日間訪問をしました。

訪問した先で拡大を訴え直ぐに応えて商工新聞を拡大された役員もおられました。引続き拡大のための紹介をお願いします。

京商連共済会総会

京商連共済会総会が6月8日(日)行われます。今年の総会は共済会創立30周年を迎えるので記念式典も行われます。総会には東山民商から10名が参加する予定です。

共済会は「1人はみんなのために、みんなは一人のために」の理念をいかし、相互扶助の精神で助け合い会員の営業と生活をまもるなどの目的で創設され全会員加入をめざし加入促進をはかりながら多くの方に給付を行ってきました。

総会を機にまだ加入されていない人は是非加入していただき助け合いの輪に入ってください。

共済の加入資格は会員本人、同居家族、従業員で月1000円の会費です。

なお、会員とその配偶者については、年齢制限はありません。

新会員歓迎会

とき:6月4日(水)午後5時〜7時
ところ:東山民商事務所

かやぶきの里、美山町へ

5月11日、婦人部ご一行20名を乗せた小型バスは、9時40分、東山五条を出発。ル−ト162、周山街道を北へ走り、北山杉資料館。高山寺登り口にて休憩をして美山町へ向かった。途中、山藤が今が盛りと花を咲かせ山を彩っていた。

11時40分、美山自然文化村河鹿荘に到着。いろりのあるかやぶきの館にて昼食、その後2時間は自由行動、バラ風呂に入る人、近くを散策する人、美術館・資料館に足をのばす人それぞれに自然の中で楽しんだ。

その後、合流してきび工房のボランティアの方にガイドを頼み「かやぶきの里、北村」を散策し、帰路へ。バスの中から日吉ダムをみて、京都縦貫道に乗り、東山へは5時半に帰る。

曇空で肌寒い日ではあったが親切なバスの運転手さんにも恵まれ自然にひたり、各々小旅行を満喫した一日でした。(記 辻本)

6月のレクレーション

今年の東山民商レクレ−ションは焼肉バーベキューをすることにしました。場所は以前行った葛川森林キャンプ場の予定です。みなさん奮ってご参加ください。バス1台でいきますので先着50名とさせていただきます。

日は、6月29日(日)で費用等は後日案内します。

民商共済会より援助します。

祗園をよくしたい

先日役員会で祗園清掃のことが議題になりその中で祗園の原状について色々意見が出されました。祗園の中には駐輪場がないため少しの場所でも自転車やバイクが止めてあり通りを邪魔している、なんとかならないか、ビルの非常階段にゴミ等が置いてありいざという時に役にたたない、ゴミを平気ですてる、時間にゴミをださない、共益費が非常に高い、階段に手すりをつけて欲しいと家主に言っているが聞こうとしないなど地域やテナントに対する要望や意見が出されました。

快適に営業しお客さんにも喜ばれるようにしていくためにもみんなで話しあって解決の糸口でも見つけていくことが大切だと思いました。

○過払いで戻ってくる

10年以上前にサラ金会社からお金を借り返済をしてきた(ここ数年は利息のみ)人が、返済が出来ないと相談があり弁護士事務所に行き相談していました。この人は資料もキチット残していたことやかなり以前の借入であったため過払い訴訟を起こすことにしました。

弁護士に依頼してから数ヶ月で弁護士事務所から連絡が入りサラ金会社が過払い請求に応じ返済をすることになったということでした。この方は、返済をしなくてよい上にお金が戻ってくることに成り非常に喜んでいました。

祇園は我らが街

清掃ボランティアに参加して
五月十八日(日)

知らない街を歩いている時「こんな所に住んでみたいなあ」と魅了される地域と、「こんな薄汚い所には二度と来たくない」と顔をしかめる場所がある。

美しい地域とは、建物の調和がとれていて、所々に自然があり、そして小奇麗に清掃されていて、どこからともなくいい香りが漂ってくるような場所である。視覚と臭覚と大脳いうのは密接な関係があって、場末のようなごみごみした場所では、何となくすえた匂いが沈殿しているような気がするし、美しく清掃された場所では澄んだ空気が流れているような気がする。もしそこに花でも咲いていれば、ふくいくたる香りまで感じさせる。ある実験で薄暗い部屋にバラの造花を並べておいたらほとんどの人がバラの匂いを感じ、大便の糞の模型を置いておいたら糞の臭いがしたと感じた。人間の感覚とはそんなものである。

同じ東京の繁華街でも銀座と新宿・渋谷ではだいぶ様相が違う。新宿の方は、建物は斬新であるがけばけばしく密集していて、その底でうごめく若者の体臭と、若い女の、強すぎる香水の匂いを感じる。

それに比べ、銀座の方は同じ香水でもしっとりとした感じで、柳の並木が爽やか風を吹かす。

言い換えると、新宿のような所では、多少ゴミが散乱していも、異臭がしても、頭が痛くなるような騒音でも、大して気にならないが、銀座では、わずかなことでも気になる。

雑然としているが溶け込みやすい新宿、少しお高くとまっていて、なじみの客には居心地がいい銀座、共に好みがはっきりしていて、客の年齢層も異なる。現在は集客力で新宿が圧倒しているが、いわゆる勝ち組の常連客を握っている銀座も、しぶとく生き残るだろう。

祇園も多分に銀座的なところがあって、高齢化と勝ち組の少ない京都では苦戦している。

これから祇園をどういう街にしていくのか、それは街の人が決める問題であるが、大衆化を目指すにしても、高級化を目指すにしても、個性的な街造りを目指すにしても、いずれにしろ基本的には街の再編が必要と思う。電線の地中化、しゃれた街灯照明、石畳みの道、場所によったら木を植えたりせせらぎ作ったり、建物も建て替えねばならないだろうし、飲食店の誘致や宣伝も肝要であろう。それらを推進していくには、膨大な資力とエネルギーが必要で、行政のてこ入れなくしては難しい。しかし街の美化ならは今日からでも出来るし、こういった地味な努力は決して無駄にはならない。

「夜でも昼でも歩いてみたい、何度でも来てみたい」祇園がそういう街であってほしいと願う。

ともかく、一度やってみようということで、祇園の清掃ボランティアが始まった。

まあ一言で祇園と言っても広うござんす。そこには清掃反対派のカラスが眼を光らせていて、中途半端なことでは馬鹿にされる。しかも久保田会長自らが宣伝カーで、声高らかに前宣伝までしておるのでございますから、東山民商のメンツにかけて、世間様がうなるようなピカピカ清掃をしなければなりませぬ。集まったメンバーがプレッシャーに顔を引きつらせているのも無理からぬことでございました。

当日集まったのは十四名、料飲部からは久保田、石井、岡本(祇園第一)、岡本(祇園西)、岸本、高山、藤本、地域支部からは小山(一橋)、前田、事務局からは橋本、馬場、服部の各氏、助っ人は地元業者の内藤さんと生活相談所の斎藤さん、新聞赤旗から記者が取材に来てました。

人間の心理は勝手なもので、ゴミが散乱していると「俺も捨てていいんだな」と判断し、美しい場所では「うかつには捨てられないぞ」と躊躇します。

清掃が終わって、ゴミ一つ落ちてない街は、大変すがすがしい思いがしました。地元の方からも「ありがとう」という声が掛かりました。民商のハッピ姿が一段と目立った一日でありました。

行政というのは地元から声を上げるか、上層部からの命令がないと、何事も腰を上げない。これを足がかりに、祇園の業者(地域業者も参加)が地元の要望要求署名を集め、早急なる実施を申し入れたらどうでしょうか。

前田記

明治から今日まで
 庶民はいかに生きてきたか
   その足跡をたどる (一)

【明治元年】一八六八年

幕府による二六○年間の鎖国が崩壊し、西洋文明が怒涛のごとく入ってきた。当然世の中も激変混乱する。

日本のように、さしたる抵抗もなく異文明を受け入れ、政治・経済のシステムや生活習慣を自分のものにしてしまう国は、世界でも珍しい。この国民性はその後もいかんなく発揮され、第二次大戦の敗戦時にも、一夜にして軍国主義からアメリカ的民主主義に変貌した。

これは、良く言えば、弾力に富み、頭がよくて、したたかということであり、悪く言えば、権力に弱く、自主性に欠けるということである。明治元年はその傾向が顕著に現れた記念すべき第一歩と言える。

東北や北海道で官軍と旧幕府軍が戦っている最中に明治政府は発足した。九月に年号が慶応から明治に変り、江戸が東京に改称され、日本の首都が京都から東京に移った。この年にはいろいろな法律が出来た。禁止されたものや許されたもの、庶民はあまりにもめまぐるしく変る世の中を唖然として眺め、時代の激流に押し流されていった。

まず第一に、政府が財政を握るために打った手が貨幣である。それまで各藩が発行していた藩札や古銭の使用が禁止され、政府の発行する紙幣や硬貨のみが通貨となった。今まで使っていたお金が突然通用しなくなり、新しいお金に変るというのは驚くべきことで、流通や日常生活は大混乱に陥ったと思われる。

【その他に禁止された事】阿片の売買・喫飲、暗殺、富くじ興行、無許可の新聞発行、江戸市内の発砲

麻薬の禁止は現代でも同じであるが、暗殺というと我々の感覚では理解しがたいが、幕末では勤王の志士が反対派の高官を殺害し、半公的警察機関である新選組でさえ公然と暗殺を行なっていた事実からみると、当然の処置かもしれない。

新聞やその他の出版物の許可制は、言論を統括するために政府がとった手段であり、これが第二次大戦中における軍の言論統制へと繋がっていった。

富くじというのは今で言う宝くじであるが、当時は誰でも胴元になれた。この宝くじを筆頭に、競馬・競輪・競艇・サッカーくじ等の賭け事は、必ず胴元が儲かるように出来ているから、購買者の被害を考えてなされた処置であろう。ところが、現代ではパチンコを除く賭博は国が胴元で、利益の一部を福祉に活用しているとはいえ国家が膨大な利益を得ている。こういった、確実に、そして楽に儲かる事業は、決して民営化にはならない。ウマミのあるものは絶対に手放さないのが政治家の美徳といえよう。

地方においては横浜で立ち小便が禁止された。もちろん人間も生き物であるから、突然尿意をもよおす事態は起こり得るが、この時代には公衆便所が無かったので、他人に迷惑を掛けない限り、男女共に立ち小便を許されていた。横浜が先頭を切って禁止したのは、外国人の居留者が多く住んでいたからであろう。「日本人というのは所かまわす大小便を垂れ流す民族である」などと世界中に吹聴されれば、国の体面にかかわったからである。

大阪では、賭博と堕胎と男女混浴が禁止された。

博打の禁止は当然であるが、堕胎となると話が違ってくる。それまでは、法律で禁止しなければならないほど簡単に子供を堕ろすことができたのであろうか、男女間の風紀も相当乱れていたのかもしれない。

混浴というのは大阪だけでなく全国的な風習であった。

武士の世界では男女が接することは厳しくいましめられていたが、庶民の場合、特に江戸や大阪のような都市部では結構フランクだった。町の風呂屋は一種の社交場兼娯楽場で、混浴はごく普通のことであり、町内のおっさんとおばさんが出会ったりすると、世間話に花が咲いた。

まあ裸の付き合いというの結構なことではあるが、反面「あんたはんのオッパイもしばらく見ない内に、えらくしなびてきましたなあ」とか「そう言うあんたのお腹の皮も垂れてまんがな」などと全てがあからさまになり、都合の悪いこともいろいろ出てくる。知らない方がいい事もあって、判断に迷うところである。

珍しいのは休日の制定、それまでは盆・正月しか休日がなかつたが、これではいかにも働き過ぎで、西洋人に「余暇を楽しむことを知らない非文化人」と馬鹿にされると思ったのであろうか、毎月の一と六の日を国の定める休日とした。

医師の開業免許制度、町医者の中には西洋医学を学んだ名医もいたが、医学の知識や技術を持たない怪しげな医者も数多く存在した。一応は専門業としての資格を認可制で定めたということである。

京都では、鳥羽・伏見の戦いで家を焼かれた伏見地区の住民が、難民生活を強いられ、難渋していた。三月に長谷信篤が初代知事に赴任したが、世情は乱れ、庶民の生活は一向によくならなかった。世の中が落ち着くまでには、まだまだ長い歳月を要したのである。